終わらなかった平成
十年前、ディケイドが旅の途中のまま私たちの目の前から姿を消した様に、
ジオウも時計の針を一周させ、平成最後の一年に愛する仲間たちと帰ってゆきました。
仮面ライダージオウ、最終回を迎えましたが皆さんはどのような感想を持ちましたか?
私は個人的に、この最終回は余り好きではありません。
それはジオウという番組でありながら、余りにもディケイド的な世界観が描かれ過ぎたからではありません。
直近の作品の焼き直しの様な世界救済が為されたからでも、
説明不足でツクヨミの裏切りが唐突且つ無意味に見えるためでも、
仮面ライダーアクアが死んだままその後が説明されないからでもありません。
では、何が気に入らないか。
それは、常盤ソウゴが「オーマジオウになった記憶を手放す結末になったこと」。
最終回終盤、常盤ソウゴは滅びが溢れた世界を再創造するため、覚醒したオーマジオウの力で彼自身の世界を破壊することを選択しました。
そしてジオウの世界の時計の針を一周させ、
ゲイツやツクヨミ、ウールたち帰る場所の無い時の放浪者を受け容れた新たな2018年、平成ライダー最後の年を再始動させました。
前述したとおり、彼自身も記憶をリセットして。
私はこれに少なからず嫌悪感を、悍ましさを感じました。
たしかに、あの世界は湧き出す怪物に蝕まれ、
遠からず滅びゆく未来が決定していたかもしれません。
ですが、それでも尚、あの時点では未だ懸命に、必死に、
それこそ劇場版で提示されたと言うテーマ「瞬瞬必生」の意志で生きようと、
生き抜こうとしていた人々は数多存在したはずです。
それでも彼は世界を破壊しました。
彼自身の望む世界―――彼が朋友と共に幸せな日々を送る世界―――を創造する為に。
魔王から放たれた金色の光が世界を包んだあの瞬間、
あの世界に生きていた全ての存在は、その生涯を、歴史を終えました。
そして、魔王の望む世界に、魔王の思うように創り直されたのです。
「世界」の生殺与奪を欲しい侭にする、正に魔王の所業と言えるでしょう。
ただ、ここまでは良いのです。
ここまでの文章を見て義憤にかられる方もいらっしゃるかもしれませんが、
私個人のスタンスでは、常盤ソウゴの常盤ソウゴによる常盤ソウゴのための世界破壊と創造ですら肯定するべきことなんです。
彼は幾多の戦いの果て、世界を救ってきた英雄たちの信託を得て、
王としての権能を手に入れたのですから。
しかし、世界の再創造が終えた朝の光景を見て私は不快感を覚えました。
画面に映し出されたのはこれまでの一年間を失い、新たな「平成最後の一年」を迎えた常盤ソウゴの姿。
彼は魔王としての力を手放したのみならず、
道化として数多の世界を危機に陥れたことも、
英雄として時空を歪めるものと戦ったことも、
その戦いの中で友を守れなかったことも、
理想世界創造のため旧い世界を滅ぼしたことも忘れ去り、
多くの友人に囲まれた幸せな、真っ新な人生を手に入れていました。
これが気に入らない。
魔王として世界を破壊した自責の念に苛まれ続けろと言いたいわけではありません。
自らの意志により世界を破壊し、再創造したのなら、それを見守り続けることこそが、彼が成ることを求め続けた王としての責務ではないか――――と、思うのです。
二十年前、旅人は、重い荷物を放り出すことなく最後の戦いに赴きました。
十年前、世界の破壊者は、世界再生のために自らを生贄に捧げました。
一年前、創造者の名前を持つ物理学者は、孤独を覚悟し新世界に降り立ちました。
彼らと同じ道を若干18歳の少年に望むのは酷かもしれません。
しかし、彼は自らの意志で王たるを望み、王となりました。
なら、王としての権威と権能を示すのみではなく、
王として、創造者として、課された責務を果たす姿も描いてほしかったのです。
最低最悪の魔王と誹りを受け、
一人孤独に戦い続ける2068年のオーマジオウの姿こそが、
もしかしたら責務を果たすことを選んだ彼の姿なのかもしれませんが……
……などと最終回、常盤ソウゴが選ばされた結末に対する不満を述べましたが、
ディケイドの時を上回る豪華なレジェンドたちの客演、
昨今怪人数が減りゆく中で全平成ライダー分以上の数登場したアナザーライダー、
ゲイツやウォズをはじめとした魅力的な登場人物、
細かいツッコミ無用とばかりに突っ走るゴーカイな脚本などなど……
作品全体としては十分以上に楽しませてもらったと思います。
番組に参加されたキャスト、スタッフの皆さんは一年間大変お疲れ様でした。